断酒 103日目。
100日を超えていた。
我慢をしている状態ではないから、なんとも喜べる感じではないけど、家族の協力もありここまできた。
目標まで来た。
その達成感を味わえてよかった。
ありがとうございます。
去年の12月から一年間の記録をはじめ、4ヶ月が経とうとしている。
心の方が良く、お酒に頼らなくても生きていけている。
コロナの影響もあり、誘われることもなくそれも続けられた要因かもしれない。
過去の辛い記憶に悩まされることもなく、1日1日がストンと過ぎている。
毎日お酒を飲み、寝て、起きてを繰り返すのも生き方だ。
それをしなくなった生き方ができて、こういう感覚なんだと感じる。
言葉にできないけど、なにかにして発信していこうと思う。
お酒が原因で失ってしまうものは多い。
本来なら、失わずに済むものもある。
それは、お酒が教えてくれたのではなく、支えてくれた家族や周りの人だ。
そうやって、失敗して、失いかけて、気づくしかない。
断酒 90日目。
夜勤生活のため、常に眠い。
休みの日でも、夜は目が冴えて眠れない。
完全に狂った。
朝は太陽をしっかり浴びよう。
昨日のニュースで、酔って帰ったおじが寝ていた小3の男の子の上に覆い被さって寝てしまい、下敷きになった男の子は亡くなったという。
自分も、可愛くて子供が寝ていると近くで寝たくなるけど、お酒を飲んだら別の部屋で寝てと言われていた。
こういう事故はなんとも悲しい。
お酒を飲むなら、飲んでいない人とは離れた方が安全です。
断酒 74日目。
夢でビールを飲んだ。
仲間も宅飲みだった。
あっ!と気づいた!断酒。。
でも、また一から断酒しようと思った。
なにかを続けることで、それを終わらせることは悔しい気持ちになる。
そんな夢だった。
岡本太郎氏の本を読んでいる。
ある一文が好きだ
それは
三日坊主でもいいじゃないか
三日、一心に打ち込めたことが大切だ
すぐにやめてしまうことは、日本では恥だとおもわれるけど、なにか打ち込むこんでいる時は気持ちが良いし、まさに生きていることを感じる。
それは、命を使い、命を燃やしている。
三日坊主でも、何年でも変わらない。
とても素晴らしいと思った。
だから、三日坊主になれるくらい、打ち込めることを探そう。
生きていることを感じよう。
断酒 61日目。
しっかり続けております。
2ヶ月が過ぎた。
たまに、お酒を飲むイメージをすることがある。
レモンサワーが好きだった。
しゅわしゅわ。
胸のあたりがアルコールで熱くなる。
そしてまた、のむ。
そこには楽しみという感情はなかった。
今、夜になると音楽を聞いたり、好きな動画を見たり過ごす。
フリマサイトでゲームや使わないものを売ると、売り上げが数千円、数万円になるので、なにか買おうと眺めるのも楽しい。
子供用におもちゃを探すのも楽しい。
未使用のハンドクリームをプレゼントするのも楽しい。
そんな使い方もできるし、もとは自分の使わない物なので、無駄な出費も抑えられる。
たまにリサイクルショップへ行き、売れそうなものを探すのも楽しい。
セドリというやつだ。
100円のものが数千円になることもある。
不思議と次第にお金の使い道がなくなる。
身近なものはいくらでも、いつでも手に入るという実感がついた。
畑にはじゃがいもの種をたくさん植えてみた。
4キロほどまいたので、3倍くらいにはなるかも。収穫は子供とやろう。6月頃が時期だ。
明日は寒くなるらしい。
本でも読んでみよう。
断酒 40日目。
好きなことを探したり、自分の才能を探したり。
そんな事をしていた。
誰にしろあると思う。
探しても探しても探し続けてしまう。
僕は探しによく出かけてしまう。
近場のリサイクルやさんや、ときには電車に乗って都内をぷらぷら。
ときには、飛行機に乗ってアジアの国へ。
自分探しの旅ってやつだ。
なにも得られなかったような。
子供がおもちゃ屋さんにいったけど、これだというようなおもちゃに巡り会えなかったような気持ちに似ている。
ただ探しに出かけているときのわくわく感は気持ちが良いものだ。
あるときに気がついた。
好きなことや才能は、誰からももらえるものではない。
探すことは行動だけど、みつからなければやり方がちがう。
過去にまで探し出かけることにした。
過去の自分が、楽しんでいたこと。それを誰かに笑われてやめてしまったこと。
それはやめなくてよかったんだ。
もう一度。
もう一度。
続けてみよう。
答えはみえないところに、近くにある。
もしくは、新たな自分になるには今の習慣から抜け出すこともよいのかもしれない。
断酒 38日目。
今日の天気や風は清々しく、新鮮な空気の香り。
ザ・冬。
子供の頃を思い出す。
友達と走り回ったり、夜は母が干してくれた太陽の匂いのするフカフカの布団で眠る。
あれは幸せだ。
ただ、今日は日頃の疲れのせいなのか、無理が生じたか、気分が良くない。子供のわがままにも一喝し、それからもイライラさんが活躍していた。
とりあえず、休もうと思うが家ではステイホームの子供たちがわがまま三昧のため、少し時間を割いてドライブ。
たまたま、寄ったお店で無性に甘いものが食べたくなりでかいチョコレートを買う。
それを食べると、あたまがすっきり冴え渡る。
このところ、糖分を摂取していなかったし、食事も控えていたので、イライラさんは脳の方のサインだったのではと思い、すぐに帰りまた子供もゆっくり過ごすことができた。
好きなものを好きなように食べれたらよいのだが、太って他人に言われるのが大嫌いだ。
いつも、相手にはしないのだがそんな他人がどこにいても不快にさせてくれる。
それが世の中なのだろう。
自分で自分の好きなものや欲しいものを買うことも難しい。
そのお金を家族のために使うのだという声がいつも聞こえるからだ。
それは母親がいつも言っていた言葉だ。
とても良い言葉だけど、自分で自分を大切にする術は教えてくれなかった。
身を犠牲にしてまで、鬱になってまで、気づかなかった。
たまには自分を大切にしようとするが、やり方がわからない。
他人に優しくすることはできる。それは慣れている。
他人に優しくされることは慣れていない。
優しくされる仕方がわからない。喜び方も難しい。ありがとうと言うのみだ。
でも、羅漢さんの言うように、人に優しくすることが自分のためだということは忘れない。